高松市を代表する景勝地、屋島ではかつてケーブルカーが運行されていました。
屋島ケーブルは1929年(昭和4年)に開通しました。戦中から戦後しばらくは運行休止となったものの、長く屋島山を登る唯一の公共交通機関として活躍してきました。
しかし、利用の低迷と、親会社の高松琴平電鉄の業績不振と民事再生法適用のあおりを受けたこともあり、2004年(平成16年)10月に運行休止となりました。翌2005年(平成17年)8月には正式に廃止となっています。
琴電志度線の「琴電屋島駅」です。屋島ケーブルへの玄関口であり、かつて屋島への登山客の多くが利用しました。
琴電志度線の「琴電屋島駅」です。屋島ケーブルへの玄関口であり、かつて屋島への登山客の多くが利用しました。
現在屋島山上へはアクセス道路「屋島ドライブウェイ」によって車で登れるほか、山上へ向かうバスについても琴電屋島駅に加えてJR屋島駅を経由するようになりました。
ケーブル駅に向かう道には旅館や食堂が軒を連ねており、観光客で賑わっていたことが窺えます。しかし今ではほとんどが廃業したようです。
ケーブル駅に向かう道には旅館や食堂が軒を連ねており、観光客で賑わっていたことが窺えます。しかし今ではほとんどが廃業したようです。
200メートルほど登ると行き止まり、広場と公民館がありました。この公民館の場所にかつてケーブルの「屋島登山口駅」の駅舎があったそうです。
公民館の裏に回ると、ホームと2両の車両が残されていました。
ホームも車両もほぼ完全に残されています。ただし車両の車体色については廃止後に塗り直されたそうで、現役当時は白に赤い帯という姿でした。
2両のあいだはベニヤ板が貼られ、進入を防いでいます。
山上側の車両は廃止後しばらく山上駅に留置されていましたが、災害時などにケーブルが破断して車両が滑落することを防止するため、麓に降ろされたそうです。
車内も荒らされた様子はありません。ただ、ガラスが何枚か割れているのが気になりました。
山上への線路もそのまま残されています。
屋島ドライブウェイを通って山上へやって来ました。那須与一で知られる屋島合戦場や瀬戸内海を一望できます。
駐車場から10分ほど歩き、ケーブルの屋島山上駅の跡に来ました。駅舎が残されています。
屋島山上駅舎は地上二階地下一階で、屋島ケーブルの開業と同時に建設されました。貴重な戦前のモダンデザインRC造建築ということで、近代化産業遺産に登録されています。
曲線や連続窓のあるオシャレな建物ですが、活用されず放置状態のようで、ガラスが割れるなどすこし荒れ気味です。
ホームも残されているようですが、立入禁止となっていました。
駅前には食堂や土産物屋があったようですが、やはり全て廃業しています。
屋島山上では駅跡以外にも複数ある大型の観光旅館がことごとく廃業しており、観光地らしからぬ陰湿な雰囲気です。
ケーブルの廃線跡、潰れた旅館や商店…、衰退するにまかせた昭和の観光地の姿がありました。
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