保存車めぐりの記録

ようこそいらっしゃいました。 保存・放置鉄道車両巡りがメインのブログです。

404
場所:岡山県倉敷市下津井4-4-24
交通:児島駅から下電バス下津井線「下津井」または下津井循環線とこはい号「下津井港前」下車
見学:イベント開催時以外は敷地外から。

1990年(平成2年)いっぱいで廃止となった、下津井電鉄下津井駅跡に保存されている車両たちです。

下津井電鉄(当初は下津井軽便鉄道)は、幕政時代以来四国への玄関口として栄えていながら、宇高航路の登場によって衰退した下津井の再興を主な目的とした鉄道で、茶屋町~下津井間21キロを結びました。

駅跡は今も下津井電鉄の所有地で、普段は立入禁止のようです。そのため、すべて柵の外からの撮影です。

405
モハ1001。

1954年(昭和9年)にナニワ車両で製造された車両で、当初は制御車(クハ23)で、他の車両と連結して運転されました。

1972年(昭和47年)の茶屋町~児島間廃止に伴い、他の車両からモーターなど機器類を移植して電動車(モハ)となりました。同時にワンマン改造も実施されました。

1983年(昭和58年)からは、らくがき電車「赤いクレパス号」として運転されました。これは、乗客が車内や車体に自由に落書きができ、そのままの姿で営業運転するというもので、下津井電鉄の名物であったそうです。

406
モハ103。

1961年(昭和36年)ナニワ工機で製造された車両で、制御車(クハ24号/鷲羽山下電ホテルで保存)と2両固定編成で使用されました。一般車両としては下津井電鉄でいちばん新しい車両で、廃止まで主力として活躍しました。

末期はフジカラーの全面広告車として緑色の車体に白色で「FUJI」のロゴが書かれた姿でしたが、保存会の手で昭和50年ころの塗装に塗り替えられました。

410
クハ5。

ガソリンカーのカハ5号として1931年(昭和6年)に製造されました。国内の内燃車としてはごく初期の車両で、鮮魚台と呼ばれる荷物棚を車体両端に備えます。1949年(昭和24年)の電化に伴い電車の制御車に改造され、クハ5号となりました。1972年(昭和47年)の茶屋町~児島間廃止で廃車となっています。

411
ホジ3。

1971年(昭和46年)に廃止となった井笠鉄道から移籍して来ました。翌1972年に廃止となった茶屋町~児島間のレール撤去工事を目的に購入されましたが、エンジン不調により使用されなかったそうです。

1965年(昭和30年)に富士重工で製造、井笠鉄道では末期は主力として活躍したうちの1両です。
営業用ではないものの、電化後の下津井電鉄では唯一存在した気動車です。

IMG_0588
2000形「メリーベル号」です。

瀬戸大橋開通に合わせて導入された車両で、製造は1988年(昭和63年)アルナ工機。下津井電鉄最後の新製車です。
バスに隠れてあまり見えませんが、現役当時のまま3両編成(2001+2201+2101)で保存されています。画像は2101号側です。

真っ赤な車体、ポップな内装にオープンデッキなど、観光利用を強く意識した車両です。

下津井電鉄では瀬戸大橋開通を機に観光鉄道への転換をはかり、この車両の導入のほか、
・鷲羽山駅を景色の良い山上へ移転
・児島駅のヨーロッパ・ミラノ風駅舎への建て替え(メロディ・ベル・ステイション児島駅)
・下津井駅構内をミニ教会や噴水を置いた公園とする(フラワーパーク下津井駅)
など、多くの施策がおこなわれました。

しかし瀬戸大橋効果による観光ブームは一過性で、いったん増えた利用客もすぐに減少したため、まもなく全線の廃止が決定しました。この車両が実際に走行したのは3年弱です。

このほか、有蓋貨車ホワ6と無蓋貨車ホトフ5が保存されているそうですが、メリーベル号の後ろにいるようで見えませんでした。

413
415
409
416

時おり実施される公開イベントについては「下津井みなと電車保存会」ホームページをご覧ください。

※参考資料:福屋嘉平「イーグルよ翔べ・ナローゲージ鉄道下電の戦後五十年」、山陰鉄道研究会・祖田定一「ナローゲージよ永遠に」、保存会作成の現地案内掲示

このエントリーをはてなブックマークに追加

コメント

コメントフォーム
評価する
  • 1
  • 2
  • 3
  • 4
  • 5
  • リセット
  • 1
  • 2
  • 3
  • 4
  • 5
  • リセット