場所:福岡県北九州市小倉北区金田3-1
昨年10月のことですが、JR九州の小倉工場の公開イベントに行って来ました。
C12-222。
1939年に製造された車両で、九州各地で使用されて高森線を最後に引退しました。
タンク部の前照灯の両側に通気口(監視窓?)があります。これは九州のタンク機でよく見られた設備でした。
かつては福岡市の和白東小学校で保存されていましたが、以前この場所で保存されていたC59-1が九州鉄道記念館に移設されたため、後釜として小倉工場に搬入されました。
クハ481-256。
この車両は1973年に製造され、当初は青森に配置されました。1980年に南福岡に転属してからは九州内で使用され、最後は2015年に運転された九州の485系さよなら運転に使用されました。
200番台のため新製当初は貫通扉がありましたが、後に完全に埋められました。そのため、当初から非貫通で製造された300番台よりもヘッドマークが小型になっています。
2両が入口近くに並べて保存されていますが、少し奥まった場所で、公開イベント以外では撮影や見学は難しいと思われます。
D51-542。
車体が真っ二つに切断され、第2・第3動輪の部分がボイラーを含めてなくなっています。教材用としてこのような姿になったと思われますが、保存車として見ると悲壮感を覚えます。
火室内の構造がつぶさに観察できるようになっています。
この車両は1941年に小倉工場で製造されました。いわば生まれ故郷で保存されているわけで、もうすこし丁重に扱えなかったものなのか、と思います。
炭水車も前位側の台車部分を残して切り取られています。
オハフ61-1030。
43系などでなく61系というのがマニアックですね。
台車以外の床下機器はきれいに取り払われています。
今回の落書き車両はキハ31。キハ40系よりも新しい車両ですが廃車が進んでいるようです。この車両以外にも解体待ちと見える車両が2、3両いました。
こちらは真っ白に塗られたクハ411。交直流電車のモハは主変圧器や主整流器など装備するため、クハにもMGなどが装備されており、115系などの直流電車に比べて賑やかな床下です。
モハ414も。こちらは大村線のシーサイドライナーのような色です。表記類はないようで車号はわかりませんでしたが、2両とも一部窓が固定化された更新車で、廃車からそれほど経っていないのではないかと思います。
社員の方に「この車両はなんですか?」と聞いたところ、2両のうしろにある建物が検修社員の技術研修施設で、車両も施設の一部として実習に使っているとのお話でした。
展示されていた車両ではありませんが、DD16-43。
工場内の移動機として使用されているそうです。
※2019年追記:DD16-43は解体されました
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