保存車とB級鉄道

ようこそいらっしゃいました。当ブログでは保存車や鉄道をフィーチャーしたマイナースポットを紹介していきたいと思います。 てっぱくやリニア館、SLみなかみ号などのメジャーどころについては他をあたってください。

かつて炭鉱街だった大夕張地区と国鉄清水沢結んでいた三菱大夕張鉄道線。廃止時の終着駅だった南大夕張駅跡に保存車が残されているとのこと。

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こちらは、石勝線の清水沢駅。三菱大夕張鉄道の起点であり、北炭清水沢炭鉱専用線も分岐する石炭輸送の結節点だったそうですが、今では1面1線のみの棒線駅です。使われなくなった広い構内には雑草が繁り、通路が不自然に長くなっています。

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北炭清水沢炭鉱を擁する鉱山街として繁栄を極めたという清水沢。現在では駅前の商店はほとんどがシャッターを下し、昭和30年代には札幌鉄道管理局内でも十指に入ったという乗車人員も平成26年時点で一日平均12人という状況。
そんな清水沢の活性化の一環として、待合室を利用して若手アーティストの個展が開かれていました。往年の清水沢の俯瞰図は街の構造が手に取るようにわかり、なかなか圧巻。




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国道452号線を芦別方面に8km程、南大夕張駅のあった南部地区に着きました。南大夕張炭鉱の坑口周辺に開けた土地で、さらに上流の大夕張炭鉱に近い鹿島、千歳町、明石町などの地区と合わせて大夕張と呼ばれました。
南部地区より上流は夕張シューパロダムの建設によって廃線跡もろとも水没、現在はここが最奥の集落となっており、人口は約470人。最盛期の昭和30年の大夕張地区全体の人口が約2万4千ですから、残っているのは実に50人に1人。

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寂れきってしまった商店街の向かいに南大夕張駅跡があり、数両の車両が残されています。
大夕張炭鉱は昭和44年をピークに出炭量が減少、昭和48年に廃坑となり、鉄道も同年中に南大夕張~大夕張炭山間が廃止され、以後全線が廃止となる昭和62年まではここが終着駅でした。

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廃止時のホームとともに、客車と貨車の計6両が保存されています。先頭のキ1号は国鉄キ100形に準じたラッセル式除雪車で、昭和15年国鉄苗穂工場製造。

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2両目はスハニ6。元は国鉄の木造客車オロシ9216で大正2年大宮工場製造、戦後三菱美唄鉄道に払い下げ、鋼体化、三菱大夕張鉄道へは昭和42年に入線。一般営業用としては最後の3軸ボギー車で、床下にはトラスバーも残る…と、どちらも帰京してから得た知識で写真撮ってません。ごめんなさい。

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車掌室の次位が荷物室となっており、各種資料が展示されています。

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以前南大夕張の保存車は荒廃状態で、平成11年には豪雪によって一部車両が転倒。その後は直後に発足した保存会のメンバーにより転覆車両の復旧と各車の補修が行われ、現在のような状態になっています。

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懸命に補修を加える人がいる一方で、心無い者による破壊行為もあるのでしょうか。残念なことです。

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背もたれはモケットが貼られていないタイプ。レザー貼りのシートも現役時のものです。

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3両目のオハ1。起源は明治39年登場のオネ7で、数度の用途・形式変更の末、オハフ8857となっていたものを購入、北海陸運工業にて半鋼製車体を新製、昭和28年に入線したもの。

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車内。冬季はダルマストーブが置かれるため、季節によって定員が異なり、夏季104名、冬季96名。

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4両目のナハフ1。同線唯一の自社発注客車で、昭和12年、日本車両製。当初はナハ1で、昭和42年の車掌室設置とともに現型式に変更されています。車内は保存車補修のための機材が収められ、入ることはできませせんでした。

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客車の後ろには、2両の石炭車、明治44年製のセキ1と昭和9年製のセキ1000の置かれています。出炭港への輸送は国鉄貨車の乗り入れによって賄われていたため、この2両は沿線の炭住街で消費される石炭の輸送に用いられたものです。

これらの保存車群は、この土地のかつての賑わいをを窺い知ることができる数少ない存在。今後とも末永く大切にされることを願います。


所在地:北海道夕張市南部
交通:クルマかバイク推奨(清水沢駅から8分)。新さっぽろから清水沢経由南部行の夕鉄バスがありますが、始発の南部行から最終の新さっぽろ行の折り返し時間が僅か9分。公共交通を利用の場合も少なくとも片道はタクシー利用が現実的です。
見学:冬季以外は見学自由。詳しい公開時期は保存会ホームページを参照。

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